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今の子どもたちの周りには、カラフルで刺激的なデジタルコンテンツがあふれています。
画面をタッチすれば音が鳴り、キャラクターが動き、次々と新しい映像が現れる。大人が見ていても夢中になってしまうほど、よくできたものばかりです。
そんな時代に、昔からほとんど姿を変えていないおもちゃがあります。
それが**「つみき」**です。
木を四角や三角、円柱などに切っただけの、とてもシンプルなおもちゃ。
電源もありません。音楽も流れません。光ることもありません。
それなのに、子どもは積んでは崩し、また積み直し、ときには驚くほど長い時間夢中になります。
なぜ、デジタル全盛の今だからこそ「つみき」が魅力的なのでしょうか。
そこには、便利なデジタルのおもちゃとは少し違った、シンプルだからこその面白さがあります。
何もしないおもちゃだから面白い
つみきには、少し不思議な特徴があります。
つみき自身は、何もしてくれません。
ボタンを押しても音は鳴らない。
勝手に動くこともない。
遊び方を説明してくれることもありません。
目の前に置かれているのは、ただの木のかたまりです。
だからこそ、遊びを始めるのは子ども自身です。
「これを積んでみよう」
「こっちに置いたらどうなるかな?」
「おうちにしてみよう」
「これは電車にしよう」
子どもが考えて、手を動かした瞬間、ただの木片だったものが「おもちゃ」になります。
ここが、つみきの最大の魅力なのかもしれません。
「見せてもらう遊び」と「自分で作る遊び」
デジタルのおもちゃや動画には、完成された世界があります。
キャラクターがいて、音楽があり、ストーリーが進んでいく。
もちろん、それらにも素晴らしい魅力があります。
一方、つみきには最初からストーリーがありません。
だから、
「今日は何にしよう?」
というところから遊びが始まります。
昨日はお城だったつみきが、今日は電車になる。
明日は宇宙船になるかもしれません。
さらに次の日には、動物園や秘密基地になっているかもしれない。
同じつみきなのに、遊ぶたびに違う世界が生まれるのです。
これは、完成されたコンテンツを楽しむこととは違う、**「自分で世界を作る楽しさ」**です。
つみきは「想像力の余白」が大きい
つみきには顔がありません。
名前もありません。
「これは○○です」という設定もありません。
一見すると欠点のようですが、実はこれこそが大きな魅力です。
例えば長方形のつみきを1個置いてみます。
ある子には「車」に見えるかもしれません。
別の子には「船」。
「ベッド」に見える子もいれば、「スマートフォン」に見立てる子もいるでしょう。
大人には単なる長方形にしか見えなくても、子どもの頭の中ではまったく違うものになっています。
何にでもなれる。
この「決められていない余白」が、子どもの想像力を刺激します。
木だから感じられるものがある
木製つみきには、視覚だけでは分からない魅力もあります。
手に持ったときの重さ。
木の柔らかな手触り。
木目の違い。
ほのかな香り。
つみき同士がぶつかったときの「コトン」という音。
床に並べたときの感触。
同じ形のつみきでも、天然素材であれば木目や色合いは少しずつ違います。
画面の中だけでは感じることのできない、触覚・聴覚・視覚などを使った体験があります。
だからこそ、木のつみきを触っていると、なんとなく落ち着くと感じる大人もいるのではないでしょうか。
「崩れる」ことまで遊びになる
つみき遊びで面白いのは、完成することだけではありません。
高く積んでいくと、
グラグラ……。
「あっ!」
ガシャーン!
せっかく作ったものが全部崩れてしまいます。
ところが子どもは笑いながら、また最初から積み始めます。
実は、この**「失敗して、もう一度やる」**という体験もつみき遊びの面白いところです。
「どうして倒れたんだろう?」
「下を広くしたらいいかな?」
「このつみきは横向きにしよう」
遊びながら自然に試行錯誤が始まります。
誰かに正解を教えてもらうのではありません。
自分で試して、失敗して、また考える。
つみきは、失敗することそのものを楽しめる珍しいおもちゃなのです。
小学生になっても意外と面白い
「つみき=小さな子どものおもちゃ」
というイメージを持っている人も多いでしょう。
ところが、遊び方を変えると小学生でも十分楽しめます。
例えば、つみきやレールを使ってビー玉が転がるコースを作る遊び。
「ここから転がしたら、ちゃんと最後まで行くかな?」
やってみると途中で止まってしまう。
傾斜を変える。
高さを変える。
カーブを作る。
もう一度ビー玉を転がす。
成功した!
こうなると、単なるつみき遊びというより、ちょっとした実験です。
遊びながら、
「なぜ?」
「どうすれば?」
「もう一度やってみよう」
が自然に繰り返されます。
ゲームとは違った種類の集中力を見せる子どももいるでしょう。
電車やミニカーと組み合わせると世界が広がる
つみきは、単独で遊ぶ必要もありません。
むしろ、ほかのおもちゃと組み合わせることで一気に面白くなります。
例えば電車のおもちゃ。
線路を敷いて電車を走らせるだけでも楽しいですが、そこにつみきを加えてみます。
つみきで駅を作る。
トンネルを作る。
ビルを作る。
橋を作る。
駅前にお店を作る。
すると単なる電車遊びだったものが、**「街づくり」**へと変わっていきます。
ミニカーなら駐車場や道路、動物のおもちゃなら動物園、人形なら家や学校。
つみきは、ほかのおもちゃの世界を広げる「舞台装置」にもなるのです。
つみきは「白いご飯」のようなおもちゃ
つみきの面白さを食事に例えるなら、**「白いご飯」**に近いのかもしれません。
そのままでも楽しめる。
でも、いろいろなものと組み合わせることもできる。
電車が好きなら電車と。
恐竜が好きなら恐竜と。
人形が好きなら人形と。
ミニカーが好きならミニカーと。
子どもの「今、一番好きなもの」と組み合わせればいいのです。
「つみきを買ったけれど、どう遊ばせればいいの?」
と難しく考える必要はありません。
子どもが好きな遊びの横に、そっとつみきを置いてみる。
それだけで十分なのかもしれません。
大人が「遊び方」を教えすぎない
つみき遊びで、大人が少し気をつけたいことがあります。
それは、
正しい作り方を教えすぎないこと。
子どもが一生懸命積んでいると、
「そこに置いたら倒れちゃうよ」
「こうした方がきれいだよ」
と言いたくなります。
でも、倒れてもいいのです。
むしろ、
「置いてみる」
「倒れる」
「考える」
「違う置き方をする」
という一連の体験そのものが遊びです。
完成品だけを見ると不思議な形でも、子どもの頭の中にはちゃんと物語があることもあります。
大人から見れば「何これ?」でも、子どもにとっては壮大なお城なのかもしれません。
親も一緒に遊んでみる
そしてもうひとつ。
つみきは、子どもだけのおもちゃとは限りません。
大人も一緒に積んでみると、これが意外と面白い。
「どこまで高くできるかな?」
と始めたはずなのに、いつの間にか大人の方が真剣になっている。
そんなこともあります。
大人が楽しそうに遊んでいると、子どもも自然と近づいてきます。
「子どもと遊んであげなければ」
と考えるより、
「自分も一緒に遊んでみよう」
くらいの方が、お互いに楽しい時間になるのではないでしょうか。
長く使えることも、つみきの魅力
質の良い木製つみきは、簡単には壊れません。
幼児期には積んで遊び、小学生になったら複雑な建物やコースを作る。
遊ばなくなっても、次の世代へ受け継ぐことだってできます。
傷がついたり、色が少し変わったりすることもあるでしょう。
でも、それも木のおもちゃならではの味になります。
大量に買って、飽きたら捨てるのではなく、気に入ったものを長く使う。
そんな楽しみ方も、つみきには似合います。
デジタルを否定する必要はない
ここまで読むと、
「スマホやゲームは子どもに良くないの?」
と思うかもしれません。
そういう話ではありません。
デジタルにはデジタルの面白さがあります。
映像だからこそ体験できる世界もあれば、ゲームだからこそ身につく考え方もあります。
大切なのは、どちらか一方を選ぶことではないでしょう。
デジタルで遊ぶ時間があってもいい。
その一方で、
触る。
積む。
崩す。
考える。
作り直す。
想像する。
そんな遊びの時間もある。
デジタルとアナログ、両方の世界を知ること。
それこそが、今の時代だからこそ大切なのかもしれません。
何でもできる時代だから、「何もしないおもちゃ」が面白い
今のおもちゃは、とても進化しています。
話しかけてくれる。
歌ってくれる。
光ってくれる。
動いてくれる。
画面の中には無限とも思えるコンテンツがあります。
だからこそ、何もしてくれない「つみき」が新鮮に感じられます。
ただそこにある木片を、
家にするのか。
車にするのか。
宇宙船にするのか。
お城にするのか。
それを決めるのは子ども自身です。
つみきが遊んでくれるのではなく、子どもがつみきを遊びに変える。
そこに、つみきというおもちゃが何世代にもわたって愛され続けてきた理由があるのではないでしょうか。
スマートフォンを少し横に置いて、親子でつみきをひとつ積んでみる。
「次は、何を作ろうか?」
そんな何気ない時間が、デジタル時代にはかえって新鮮で、豊かな時間になるのかもしれません。